元歌舞伎ホストが社会復帰を目指すログ

毒にも薬にもならない思考の発露。

左利きの天才に憧れてしばらく左手のみで生活してみた結果。

f:id:kouritsu:20150127221659j:plain

 
 
 
 
 
それは純粋な憧れ
 
 
 
 
左利きってカッコよくないすか?(もし貴方が左利きならば羨ましさと恨めしさが同居した気持ちです。)

 

 

僕みたいな右利きで、amazonのベストセラー1位のラベルがついていると思わず購入してしまうような凡夫としては、左利きの異能感は羨ましく思える訳です。ズルい訳です。




実際、左利きの天才は多い。




歴史を紐解けば、ピカソモーツァルトレオナルド・ダ・ヴィンチ等が左利きであったと。現代で言えばビル・ゲイツも。そしてロベルト・カルロスモンスター級の左足の持ち主であったと。
 
 
 
 
 
あと、この間ちょっと思ったのは、「頭脳王」っていう、日本一の頭脳を持つ学生を決めるみたいな番組が日テレでやっていたんだけど、それを断片的に見ていて、左利きの割合が高いなと思った。左手で文字書いている選手が多かった。
 
 
 
ちゃんと録画してカウントとかはしてないんだけど、左利きの全人口に対する割合は9〜12%位らしいから、それを考えると割合として圧倒的に高かった。 少なくとも右利き9:左利き1という人口通りの比率ではなかった。
 

 

 

 

左利きに天才が生まれやすい理由なぜWhy?
 
 
 
 
 
仮説はいくつかあるみたいですが、その中でも説得力がありそうなのは、




・左手は想像や感覚を司る右脳と繋がっているため、感覚神経が鍛えられやすい(逆に右手は論理を司る左脳と繋がっており、思考や言語能力が優れるとも。)

 

・世の中の大抵の物や仕組みは人口の9割を占める右利きの人間を想定して作られているため、左利きの人間はそれらを活用するために毎回脳の中でトレーニングを行っている

 

 

 

などといった説でしょうか。これらは一般的にもよく知られている話だと思います。




※ちなみにどうでも良い話だけど、この間Galaxy note edgeを触って、これは完全に右利きのみを想定してデザインされているプロダクトやなと感じた。







しかしまぁ、改めてこれらの説を読んで思う事としては、






・何でオレ右利きやねん!






ということですね。オレもレフティーだったら毎回脳トレされて10年後のカレンダーの曜日とか一瞬で当てられたんちゃうんかと。
 
 
誰かが転んで床にマッチ棒をバラ撒いた時に、一瞬で数えて、
 
 
「98…」
 
「何がだ?」
 
「本数…」
 
「…あ、合ってる…!!」
 
 
 
みたいな展開になって周囲を驚かせられてたんちゃうんかと。

 





一つの社会実験

 

 

 

実はこれらの諸々の事柄を考えていたのは去年の話なのですが、その流れで去年は、






・ほぼ全ての作業を左手で行う





という個人的な実験に挑戦しました。例えばご飯食べるとき必ず左手使うとか。



※ちなみに、利き手ではない方でご飯を食べると、食べるのにちょっと時間がかかるから、満腹中枢が刺激されて食べ過ぎを抑制するダイエット効果もあるらしいぞ!





「これでオレも向こう側の住民権獲得、か。」と喜び勇んでやっていた訳だったのですが、結論から言うと、






・一ヶ月で止めました





うん、早かったですね。いや、一ヶ月ももたなかったかもしれない。それくらい早かった。
そして何故止めたのかというと、変化を感じなかったからとかではなくて、ある種の思考の変化があったからです。



 

それは、「今更左利きに矯正した所で、短所を補うだけで長所を伸ばす事に繋がらなくね?ということでした。

 

 




パラメータ論



人間のパフォーマンスというか、生涯で割り振れる能力のパイってある程度決まってるじゃないですか。

 

 

例えば今持っている能力がトータルで「10」だとして、仮にこれまで右利きで論理思考が鍛えられてて「論理10」だったとしたら、今更左利きに矯正して、「論理5、感覚5」になったとしても、それは果たして進化なのかと。お前全然尖っていないぞと。



仮に、能力がゼロサムではなくどんどん増えていくものだとして、「論理10、感覚5」になったとしても、それはつまり「論理15、感覚0」という選択肢を放棄している訳で。これ、どっちを選ぶのが正解なのかなって。



そう考えると、自分の場合はこれまでもそうだったんだし、論理や理屈が10で感覚が0という極端な形の方が良いのかなって。まぁ、僕の場合は論理1の感覚−9くらいなんでしょうけど。 
          

 

 



レベルは99までだ!



そんなことを考えていると、ドラクエとかに出てくる「スキル」というシステムが思い出される訳です。
 


 

 

ドラクエ8にはそれぞれのキャラクターに「スキル」という値を割り振っていってキャラクターを成長させていくシステムがあるですが、それぞれのキャラクターに割り振れるスキルの総量というのは決まっているんです。
 
 
例えば、剣スキルと槍スキルを極めたらブーメランと格闘を極められないとか。レベル99でもオールMAXは無理だった気がする。あとは「スキルの種」とかを使って無理矢理上げていくとか。確か。でもそれはドーピングなのでとりあえず無し。
 
 
つまり、スキルを満遍なく割り振っていくと、結果的にどのスキルも中途半端で、成長の後半に憶えられたはずの強力な特技とか呪文を一切憶えられない訳です。
そして生まれるのは中途半端な器用貧乏のバイプレーヤーで、全く使えません。魔王に蹂躙されます。世界救えません。

 

ということで、割り振れるスキルの総量が200だとしたら、4つのスキルに50ずつよりも、二つのスキルに100ずつの方が良い。可能ならば一つのスキルに200の極振りの方がもっと良いのかもしれない。




あっ、これってポケモン努力値とも一緒やん。今気付いた。


 

ということで、ドラクエ8のスキルシステムもポケモン努力値も、中々人間の本質をついていると思う訳ですね。
器用貧乏になるよりかは、何か一芸に特化した方が強いぜと。活躍出来るぜと。




ということで、話が若干スケールしましたが、左手を使ってご飯モグモグしている中で、「これ、もう止めた方が良いな。」と自分の中で結論が出ました。
 

 

右手に箸を持ち替えた僕は、再びスムーズにご飯を食べ始めるのでした。めでたしめでたし。


(この項:了)